ハサウェイは「アムロのIF」か?映画「閃光のハサウェイ キルケーの魔女」に見るファムファタルと虚無主義的攻撃性(ネタバレありです!)

 ※この記事はネタバレありです! 

 

 

第一部を見た経緯と感想

 

 今作は三部作となっていて、その第一部である「閃光のハサウェイ」を見てから第二部を見るのかどうか判断しようと思っていました。

 

 私が第一部を見て驚いたのは、現実世界のアメリカで今問題になっている「ICE(移民関税捜査局)」そのまんまみたいな連中が出て来たので、これは今日的なテーマを扱うのだなと思い、今回感想を書く第二部「キルケーの魔女」も劇場まで足を運んだ次第。ちなみに、ガンダムを劇場まで見に行くのは今作が初めてだったりします。

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 私はいわゆる「1st厨」だという自覚がありまして、今のガンダムも全てではありませんが結構チェックしていて、そのたびに「これはガンダムじゃない」みたいな老害力を発揮しておりました(アメコミ版「新機動戦記ガンダムW」とかw)

HAHAHA!でもう駄目だったw(Chatgpt君に描いてもらいました)

 私の定義するガンダムって、世界の残酷さや繰り返される歴史の愚行に対して抗うところだと思っています。それと、本作にはその本質に加えて、私的には「ノワール(暗黒小説)」の匂いも感じ取りました。ギギというファムファタル(運命の女)によってハサウェイの人生が狂わされ、破滅してしまうのだろうと。

 

 まあ、ハサウェイ的にはギギは「逆襲のシャア」で死んでしまったクェス・パラヤを思い出さざるを得ない立ち位置でもあり、彼のトラウマを無自覚にえぐる様なキャラ造形も手伝って、「未清算の過去」でもあるのでしょう。過去を清算しない限り彼は前に進むことが出来ない。

 でも、第一部冒頭シャトルでテロリストに襲撃される場面で、彼はクェスっぽい髪形(?髪なのかちょっとわかりづらい)のテロリストを見て一瞬フリーズしてしまうんですよ。だからこの時点では過去に囚われているのがわかる。

あえて原作小説を未読で臨む

 で、私実は原作の小説は未読で臨んでいるんですよ。

 確かにその気になれば小説を購読できたのですが、「あまり原作を知らない観客の目線」で視聴しようと思ったからで、その点でいうと第一部は正直「?いきなり主要登場人物とおぼしき3人が出合い、そこからほとんど唐突にテロリストが襲って来たけど、これ何?」みたいになりました。

 

 話の展開というか概要はもちろん知ってはいたりしますが、これはちょっと「初見殺し」な感じが否めません。とは言え終盤のΞガンダム対ペーネロペーは確かに盛り上がりました。戦っているシチュエーションが夜なのは、この作品内の事件「マフティー動乱」が暗闘であることを象徴していると思っています。

第二部の展開予測と、実際に見た感想

 

 で、ここからが本題。私は第二部の展開は

・3人の主要登場人物のプロフィール紹介

・地球連邦軍の腐敗っぷり

・連邦に抑圧され虐げられる人々の描写

が描かれるのではないかと予測していました。何故ハサウェイがシャアの真似事みたいな行動に出ているのか、その理由が示されるのだと。

 

 私の予想は少し外れて、観客が既に「逆シャア」を予習済みという前提で話が進んでいるので、ハサウェイのプロフィール紹介はむしろ「逆シャア」後のみでした。

 

 連邦の腐敗っぷりと虐げられる人々の箇所は、オエンベリのエピソードで象徴していましたね。もうICEというより「ナチ」的な振る舞い。

 

 それに加えて描かれていたのが、主要登場人物3人のキャラ造形。

 

 ハサウェイだけど、彼を見ていると、「アムロみたいに連邦に所属して抗っていくしかないのでは?」というルートがあるとは思うんだけど、それはケネスが辿っている道で、ケネスはアムロルートを選んだハサウェイのその後。禁欲的なハサウェイとは真逆なプレイボーイっぷりとか、モロに対照的なキャラ造形になっている。つまり、仮に連邦に所属したとしても、軍人として上からの命令で連邦に反旗を翻す何者かが現れたら、不本意ながらも始末しなければならないという立ち位置になる。

 

 そして、彼はこの第二部で過去を清算出来ないのが決定的になる。ギギに囚われてしまったが故に、ケリア・デースという彼女がいるにも関わらず連邦への反抗活動にのめり込んでしまった結果、ケリアに愛想をつかされる。この時点でもう彼の運命は決したも同然だったりして、見ていて痛々しい。

 

 ギギだけど、彼女は知的で奔放ながら、同時に繊細さも持ち合わせた複雑なキャラクターで、齢80を超えた老人の愛人だったけど、私からすればあまりにも退屈だから今回の動乱に加わっている感じ。香港の豪邸に入った時、やたらテンションの高い曲がかかったのは、彼女の生活の空疎さをむしろ強調させている。

 

 彼女のファムファタル(運命の女)っぷりは無自覚で、悪意がまったくと言っていいほど無いのが逆にキツイ。

 

 で、ケネス。「アムロルートを選んだハサウェイ」というキャラ造形なんだけど、レーンがハサウェイとの戦闘で騎士道精神という「美徳」を発揮したが故に敗北したのに激昂し、レーンを殴りつけ「甘ったれたこと言ってんじゃねぇ!」とばかりに弱肉強食の原理を説くのって、結局連邦に染まってしまっているんだよね。

 

 終盤の盛り上がりとしては、レーンが乗る「アリュゼウス」との対決。

 このアリュゼウスがまずいのは、コアの部分にνガンダムそっくりな機体が内蔵されていて、またしてもハサウェイは未清算の過去と対峙させられ、とうとう自分の中にあるアムロを殺してしまう。

 

 駄目押しとして、「ファムファタル(運命の女)」であるギギが、ハサウェイ側からしたら唐突といってもいい状況で彼の目の前に現れる。俳優で映画監督でもあるクリント・イーストウッドがこの作品を通して見たら「彼は運命に捕まった」と評するでしょう。本当に文字通り捕まってしまうんですよ!ここいいシーンでもなんでもないよ!

第三部が地獄であることを告げるエンディングテーマ

 エンドロールで流れる曲が、「Sweet Child O' Mine」という、ガンダムではいままでまったくそんなことしなかった出来事が起きる!本作でいちばんびっくりしたシーンはここだったりします! 

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 この曲の解説は調べてもらえればわかりますが、表向き甘ったるいラブソングに聴こえるけど、「失われた純粋さへの郷愁」と「未来への漠然とした不安」を本当は歌っている。つまり、ハサウェイは不可逆的に「シャアもどき」へと変わってしまったのだと。

個人的に気になった描写 

 私的に気になる描写はふたつあって、ひとつは食事のシーン。

 

 「フード理論」という、お菓子研究家福田里香さんが発見した、フィクションにおける食べ物で、登場人物の関係性を示す理論があります。

 第一部では、3人の人間関係を示す描写があって、同じ食卓に座りはするものの、ギギは既に食べた後で席を立ち、次にハサウェイも立つ。最後に残されたケネスだけがまだ食事に手をつけていないままで、彼らの関係性が示されている。

 

 第二部では、ハサウェイがその時点では彼女だったケリアに食事を差し出されたんだけど、同じ食卓につかず床につきそっぽを向いている。ここでもう二人の関係は終わっていたことがわかる。

 

 ケネスの元に行ったギギの描写だと、自室でケネスはギギと性的な関係を結ぼうと内心思っていたところに、外出着に着かえたギギが外出を促し、ふたりで一緒に食べようと思っていた食べ物には手が付けられていない。

 

 ここらへんはかなり意識的に演出しているのだろうなとは思いましたね。

 

 もうひとつは、「自然」。つまりハサウェイが守りたがっているもののひとつなんだけど、この大自然を執拗に写すことで、いかに人間の営みが愚かでちっぽけなものであるのを描写している。戦争を描いた最近の映画では、「ペリリュー  楽園のゲルニカ」も同じ描写だったりします。

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若年層が悲劇をちゃんと受け止めてくれるか

 

 この物語の展開と言うか結末はハッキリしていて、ハサウェイは最終的には連邦に捕縛され、処刑される。原作小説を読んでいるファンならそれはよく知っている訳で、原作小説の結末それ自体がギリシャ悲劇でいうところの「予言」であり、その「予言と言う名の運命には抗えないので受け入れるしかない」訳なんだけど、受け入れるのはハサウェイではなく物語の結末を見届けるガンダムファン。

 

 かなり今日的で普遍的な物語展開をしているのは非常に好感が持てますが、正直若い世代にこの声が届くのか不安だったりしています。何故かというと、現実世界の日本では極右への支持が圧倒的と言ってもいいくらいで、明らかに問題のある政治家を若年層がもてはやしているので、これから起きる悲劇をちゃんと受け取って「不可逆に傷つく」若年層の観客がどれくらいいるのかどうか。

 

 なんか聞くところによると、現実世界の海外では「Nihilistic Aggression(虚無主義的攻撃性)」なる人種がいて

・他責化: 自分の不幸は社会の構造や他者のせいである。

・他罰化: 自分が苦しいのだから、他者も同じ、あるいはそれ以上の苦痛を味わうべきだ。

・破滅願望: 自分が救われない世界なら、丸ごと終わってしまえ。

等と思っているそうな。それって今作での、マフティーの暴力は支持するけど高邁な理想は支持しない大衆みたい。だからこの三部作を見終えたとして、もしかしたら「胸糞悪ィ」とか「こんな終わり方あるかよ!」とかいう感想しか上がらないのではないかと危惧しています。