映画「ズートピア2」評価:興収大ヒット確実の完璧脚本に感じる違和感 – 第一作「企画会議透け」批判が今作でも当てはまる理由

 私は基本的にディズニーというか、そういった「明るく楽しい、典型的なまでの大衆娯楽作品」に対するアレルギーがあるのですが、前作を見ているのとロッテントマトスコアが高かったので劇場まで見に行きました。

youtu.be

www.rottentomatoes.com

 脚本の構造は逃走劇であり追跡劇です。冒頭に前作の紹介がさらっとされますし、そもそもがディズニー作品の続編だから、「みんな前作見てるよね?」という力技も全然通用してしまうといいますか、大資本の強さを見せられている感じがしました。

 

 主人公はウサギのジュディ(吹き替え版で見たので、声:上戸彩)と狐のニック(声:森川智之)。前作の活躍でふたりはコンビの警察官として働いている。冒頭に税関職員の潜入捜査で舞台背景と登場人物紹介、伏線も描写される。

 

 で、手柄を立てたいジュディの独断専行と、ニックとのコンビネーションが合わず周囲に迷惑をかける。今作での危機というか、ジュディとニックを追い詰める要素「バディとしてやっていけるか?」が示される。

 

 物語におけるバディ物の法則で、最初に仲のいいバディは最後に決別するか最悪殺し合い、最初仲の悪いバディは物語の中で関係性を構築して最後にはいいバディになる。

 

 だから、このふたりの仲が話の中盤過ぎまであまり上手くいっていないのがかえって結末は読める。で、もうひとつの話は、「ズートピア誕生の秘密」です。

 

 ゲイリー・ダ・スネークという蛇、つまり爬虫類のキャラクターが本作のキーパーソンで、私は吹き替えで見たのですが、このゲイリーの字幕版つまり本当に声をあてているのはアジア系のキー・ホイ・クァンであることが重要なんです。

 

 ゲイリーはアメリカ合衆国建国の陰で虐げられて来たマイノリティを代表というか、象徴していて、リンクス一家はかなり露骨にアングロサクソン系を象徴している。第一作が人種偏見に対する決めつけを取り除くという点に注意が払われていたのですが、今作は子供向けの作品の体裁を保ちながらも、明らかにアメリカ合衆国の建国にまつわる欺瞞というか、周辺化されてしまった存在に対しての表象になっている。

 

 家族に対する言及もあって、ジュディは家族から「田舎は心が少し死ぬけど、居心地はいい」みたいなことを言われて警察官であることを翻意される。このディズニー作品らしからぬ毒のあるセリフで、ここらへんは気に入っています。対するリンクス一家の末っ子パウバート(声:山田涼介)は、ジュディとは違って家族という「呪い」にかかっていてある種の鏡像関係になっている。両者ともマズローの五段階欲求の「承認」「自己実現」あたりをさまよっている。

 

 終盤になって事態は収拾され、コンビ仲というか男女の仲っぽく関係が再構築され物語は続編を匂わせながら終了する。

 

 すごくよく出来ています。特に背景というかモブキャラクターが賑やかで楽しいし、ちょうど年末年始という時期にも嚙み合うので興行収入もバッチリでしょう。だが、と言いますか、であるが故に居心地の悪さも感じます。ウェルメイド過ぎるんですよ。スクリプトドクターの三宅隆太さんが第一作を見て「企画会議の様子が透けて見える」というった趣旨の発言をしたいたのもうなづかざるを得ないというか、すべてがちょうどよくかっちりとはまっていく光景がなんかもうAIとかに話のチェックをさせたのではないかというくらい、こちらの受け止め方をコントロールして来ているなというのがすごくわかってしまう。ツルツルなのがかなり気になりましたね。