映画「ワン・バトル・アナザー・アフター」の感想です。この作品、おそらく教養が求められるメタ読みが必要なんだと思いますが、私の感想は完全に直喩です。
本作は、ポール・トーマス・アンダーソン(略称PTA)監督のアクションスリラー映画です。「X」上でとても良い評判ばかり見てしまい、「これは見に行かないといけない気がする!」という、なかば使命感に駆られて見たんですが、視聴後の第一声としては、「お前ら避妊しろよ!」と、主人公とそのパートナーを𠮟りつけたくなりましたね。
主人公の(?)パット(レオナルド・ディカプリオ)は、極左革命組織「フレンチ75」のメンバー。で、同組織のメンバーであり黒人のパーフィディア(テヤナ・テイラー)と恋仲になり、パーフィディアは妊娠するのだが、主産後その子はウィラと名付けられる。子供が出来たことで革命家としては腑抜けになったパットを見限りパーフィディアは夫と娘を捨てる。まあこの話のあいだにショーン・ペン演じる敵役の「スティーブン・J・ロックジョー大佐」とパーフィディアは不本意な性的関係を持つというのが伏線にはなっている。
革命の道をひた走るパーフィディアは、銀行強盗の際に警備員を射殺し完全に追われる身になり、その巻き添えを食ってパットとウィラはなかば潜伏するように生きることを強いられるのだが…というのが導入部。
そこから16年後に時代は移り、大人になる一歩手前の女の子になったウィラと、薬物と酒に溺れてダメ親父っぷりを発揮しているパットの元に軍が派遣されるのだけれど、そいつらを差し向けたのは、ウィラが実の娘ではないか調べたいロックジョー大佐だった。ロックジョーだけど、なんか白人至上主義の極右組織に入会するためにはパーフィディアと性的関係を持っていた過去、そしてハーフかも知れないウィラが邪魔な訳だ。
パットにしろロックジョーにしろ、どちらも「未精算の過去」に向き合わされ、片方は清算し、もう片方は自らの行いの報いを受けるという、非常にエンタメな決着をする。中盤過ぎあたりからどちらかというと、ウィラが主人公なのでは?と思わざるを得ない。「共感できる主人公(ダメ親父の元で育てられ、しかも元極左という親のとばっちりをもろに受け、捕まってロックジョーの実子であることが判明し、危うく殺されそうになるところを「反転攻勢」する。運も味方したこともあり、彼女は結局自分でなんとか危機を脱するうちに、革命家の母親の血が覚醒する。そう、一応パットは迎えに来るんだけど、本当にそれだけしかしていなかったりする。
パーフィディアが本当にヒドイキャラクター造形で、人殺しているんだよコイツ!それで娘の面倒をパットにだけ見させて自分は逃亡し、その後行方知れずとかさー。
「親の不在」というか「保護者の不在、もしくは保護者が保護者であることをまっとうしないしできない」シチュエーションを見ると私は怒りが沸き上がるんですよね。自分が機能不全家族の元で生き残ったサバイバーだからなんでしょうけど。
メタ要素としては、推測でしか語れませんが、「移民」「人種差別」「極端な活動家への批判的視点」あたりなんでしょうね。この映画自体の撮影開始日は、ドナルド・トランプが大統領に再選する前なんだけど、そこらへんは図らずも今日的な内容にはなっているとは思いました。でも、正直言って配信待ちでよかったと私は思っています。好みじゃなかったと言いましょうか…