映画「羅生門」

 たまには古典映画に親しもうという時がありまして、ネトフリにあったので視聴。芥川龍之介の短編小説「藪の中」を基にしています。

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 筋立てとしては、舞台は平安時代の京都で、雨の降りしきるなか、羅生門に集まった3人のうちの一人杣売り(志村喬)がある事件について語るのだが…といったところ。

 

 事件の内容は盗賊の多襄丸(三船敏郎が武士の金沢(森雅之)と彼が連れている妻真砂(京マチ子)を襲い、妻には性的暴行を加え夫は自分の手で殺したとその後の検非違使での取り調べで証言する。

 

 だが今度は真砂が証言をすると、多襄丸は金沢を殺せずに逃げ、真砂は気を失い気が付いたら夫である金沢には短刀が刺さって死んでいたと証言する。

 

 証言の内容が食い違っているので、「あれ、それなら夫である金沢の視点が抜け落ちているぞ。でも死んじゃったからな」等と思っていたら、そこでなんと巫女に金沢の霊を呼び出してもらい証言させるという、若干ダークコメディっぽい描写が展開される。

 

 金沢によれば、性的暴行(時代的に言うと「手籠めにされた」)を加えられたのに、真砂は多襄丸に情を移し、なんと夫である自分を殺すように多襄丸に懇願する。その浅ましさにあきれ果て多襄丸はその場を離れる。

 

 そこにさらにそれを見ていた杣売りの証言も加わって、今度は今度でまたも証言が食い違う。真相は「藪の中」ってことになる。

 

 ここまで見て来てビックリしたといいますか、あまりにも現代的なテーマを扱っているなと感じました。これはSNSの話でしょう今なら。まさに「温故知新」を地で行くといいましょうか…

 

 それぞれの証言が食い違うのは、各人が見たい現実しか見ていない、見たくないという、「確証バイアス」のメタ表現に見えますね

 

 で、舞台となる朽ちかけた羅生門は社会が崩れかけていることを象徴している。豪雨が降りしきるなか、暖を取る為に下人が羅生門の木を使って焚火にするのは利己主義の表れな訳だ。利己主義によって社会が崩れていくのだと。

 

 登場人物の一人であるお坊さんも希望を失いかけていたところ、羅生門の裏側に「希望」の象徴である赤ん坊が登場。この子を救おうと杣売りが面倒を見ると誓い、坊さんが希望を見出して終わるという、非常にエンタメなラストになる。

 

 時代も物語も違うんですけど、多襄丸が同じ三船さんが演じているから七人の侍」に出て来る菊千代が闇落ちしたみたいに見えてしかたがありませんでしたねw

 

 それと杣売りを演じている志村喬さん、年配の男性にこういうのはいけないかなと思いましたが、「可愛い」んですよね彼。

 

 それと、現代の漫画やアニメ、映画がやたら説明台詞が多いっていうけど、黒澤明作品も結構説明台詞多いと感じました。